Chie Yoshida
よしだ智恵 現代美術アーティスト 銀箔を使って花をモチーフにした作品を制作
アーティストステイトメント
私はタブーを超越するために制作を続けてきました。きっかけは母との不健全な関係性です。
母とは10年以上会っていません。正確に言えば、会おうと思えば会えるけど会えない、という状況です。会えなくなった理由は簡単で、母が離婚するさいに「上の子(私)はお金がかかるからいらないです。下の子(妹)は私が育てます。」と言いました。良識のある母親ならお金で実の子を選ぶことはしないでしょう。
しかし、世の中には”母親”というだけで「それでもあなたは愛されてるのよ。母が正しい」と会ったこともない私の母親の味方をする人たちがいます。親には感謝しないといけないという風潮がはびこる社会に、私だけでなくだけでなく多くの人たちが"普通の家族関係"に苦しみ、家族のことをタブー視する人たちもいます。
家族関係で問題を抱えている者にとって家族をタブーにするのは当然ですが、蓋をしたところで解決につながることはありません。
不変を望むならそれでいいのかもしれませんが、私にはそれができませんでした。
蓋をしていると、母親を殴り続ける夢を見るようになりました。何度も同じ夢を見た時に、タブーに触れないとこの問題を超越することができないと思いました。
当たり前と思っている事は、それは理想であって普通ではないことがほとんどだと言えます。
親に愛され感謝をし平穏に暮らしていく、これらを普通だと言う人がいますが、私から言わせてもらうと、これらはその人の理想でしかないです。
そもそも『普通』とは何なのでしょうか?
自分のことを大切にしてくれない、ましてや暴言を吐く相手をなぜ感謝しないといけないのでしょうか?
私は、『親だから』という理由で許される世の中が普通であるのなら、私はそれを全力で否定し軽蔑します。
作品は見えるものであることが当たり前だと思っている人がほとんどだと思います。
もちろん鑑賞者に見せることで作品は完成すると言えますが、私はあえて自分の作品を見えづらくすることによって、私以外は全体像を知ることができない作品にしました。
本来なら見えるはずの作品を壊したり、一部隠すことにより、見えそうで見えなくなる。それが会えそうで会えない私と私の母親の関係を表現しています。
作品をあえて見えなくすることによってもどかしさや疑問を抱くことでしょう。しかしその不快感が、実は当たり前で普通だったりするかもしれないということを感じてほしいです。